【西田幾多郎】”それで私は全集というものを持ってゐない”

物事の考え方

うーん、なんとも検索上位に来なさそうな記事のタイトルです…苦笑 しかし、僕はどうしてもこれをタイトルにしたかったのです。余計な情報ななるべく省き、重要な言葉だけをそっと置くのもたまには良いでしょう。


この、”それで私は全集というものを持ってゐない”は、西田幾多郎の「読書」の中の一文です。西田幾多郎は哲学者で、この「読書」は京都大学の2次試験の現代文にも出てきました。ちなみに、この「読書」は、青空文庫で読めます。

西田幾多郎 読書

それでは、この「読書」で、西田幾多郎はどのような読書法を述べているのでしょうか。解説していきたいと思います。



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読書法〜どのような事を意識して読むべきか〜

骨を掴む

骨を掴むというのは、その本の筆者の物の見方考え方を掴むという事です。これは言葉で書けば非常に簡単ですが、実際には難しい事です。


高校生が大学入試の現代文に苦戦しているのは、問題の文章の基本的な論理構造や筆者の主張を捉えることができず、字句の表面上を滑っていってしまうからでしょう。


私たちは、一つのまとまった文章の核を掴むことにすら苦戦を強いられます。


しかし、”それで私は全集というものを持ってゐない”は、それよりも一つ上のステップの話です。西田幾多郎が、全集を持っていないのは、持つ必要がないからです。


それは、全てを読まなくても、ある程度読めばその筆者の物の見方考え方が分かれば、我々が直面する具体的な(或いは抽象的な)各々の問題についても「この人ならこう考える」という事が分かってしまうからです。


そして、それを可能にするのは、やはり筆者の物の見方考え方を自らの中に取り込む事です。これは非常に難しいですが、論理的に文章を読解し、自分の主観で早急に判断しない事がそれを可能にする第一歩でしょう。西田幾多郎自身、自らの”全集を持たない”読書法を私たちには勧めていません。それはやはり、なかなか私たちが筆者の”骨”を掴む事が出来ず、独断的な判断をしてしまうからでしょう。

どのような人の本を読むべきか

大きな思想の流れの淵流となった人

西田幾多郎は、「読書」のなかで、本の読み方だけでなく、どのような人の本を読むべきかも述べています。

”私は一時代を画した様な偉大な思想家、大きな思想の流れの淵流となった様な人の書いたものを読むべきだと思ふ”



その様な思想家を見つけるのも最初は少し苦労するかもしれませんが、西田幾多郎は例としてプラトンを挙げているので、試しにプラトンの思考に触れてみるのも良いかもしれませんね。

一人の思想家だけでなく、それに関連した思想家

西田幾多郎は、プラトンを読むことは重要としながらも、プラトン”だけ”を読む事には同意していません。

”唯一の思想を知ると云ふことは、思想といふものを知らないと云ふに同じい”

これもまた強烈な言葉ですね。非常に考えさせられます。一人の思想家だけでなく、それに関連した思想家の本を読む事が重要だと言っています。さらに、

”特にそういう思想がどういう歴史的地盤において生じ、如何なる意義を有するかを知り置く必要があると思う”

つまり、思想のみを抜き出すのではなく、その思想の歴史的背景や意義まで理解する必要があるという事です。さらに、その様な思想は、現代の様な行き詰まりの時代において必要なのです。

これだから、古典はやめられない

今現代に必要な古典は、今現代即興で編み出された表面的な物の解決法などとは比較にならないくらい多くの有益な情報を含んでいるでしょう。古典は、物事を考えるのに必要な道具をこれでもかというほどたくさん与えてくれます。やはり、古典は面白いですね^^

雑な終わり方….苦笑

最後に〜今日のおすすめ曲〜

これは、普段理系大学生として過ごす傍、音楽制作をしている僕の身勝手な自己満コーナーです笑このコーナー2回目ですが、やっぱり違和感半端ないですね笑 それでも紹介します(意地)。ただ、流石に今回はEDMを紹介する気には慣れないので、少し昔の曲を紹介したいと思います。

今回紹介するのは、The BeatlesのDear Prudenceです。ホワイトアルバムですね。僕がこの曲を初めて聴いたのは小学1、2年生くらいの頃でしたが、その頃はクソガキだったのでこの曲の何が良いのか全く分からず、1曲目の”Back in the USSR”を聴いたらすぐさま2曲目をスキップして”Glass Onion”を聴いていました。全く何やってたんだか…..

Dear Prudence (Remastered 2009)

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