前回 : タイの田舎で、つかの間の休息
エラワンの滝へ向かう

次の日、何時に起きたのかは覚えていませんが、10:45カンチャナブリ発エラワン滝行きのバスに乗る計画を立てていました。

普段はだらしない性格なのですが、この日は絶対に間に合うようにホステルを出ました。駅までは約1kmありましたが事前にgoogleで道筋を調べていたので大丈夫なはずでした。
大丈夫な....はずだったのですが、やっぱり道に迷いました笑笑
30度を優に超える地獄のような環境の中、30分ほどひたすら絶望に打ちひしがれながら歩いていました。
しかし、30分くらい経ったところで流石にこれ以上歩いたら文字通り死ぬと思い、トゥクトゥクを呼びました。
トゥクトゥクのおっちゃん 「日本から来たのか!? どこへ行けばいい?」
僕「そうだよ!バス停まで行きたいんだ」
おっちゃん「エラワンの滝に行くんだろ?もうバスは出発したぜ!」
僕は絶望しました。地獄のような暑さの中もう一時間バスを待つのは正直無理ゲーです。そこでおっちゃんは一台のバスを指差して言いました。
おっちゃん「お、あれがエラワン滝に行くバスだぜ!!」
僕「(絶望)」
しかし、絶望に浸かっていたところ、おっちゃんは急に方向転換をしてバスの方へ猛スピードで向かっていきました。
バスに追いつくと、そこで僕を下ろしてくれ、「乗れよ!ちなみに(トゥクトゥクの料金は)100バーツ(350円ほど)な!」と言いました。神か。
正直距離に対して100バーツは高かったのですが、おっちゃんの機転に感謝して値段交渉はせずにささっと払ってバスに乗り込みました。
エラワン滝到着。綺麗すぎる!

バスに揺られること約2時間、エラワン滝に着きました。今まで寺院ばかり回っていましたが、自然に触れるのは初めてです。
エラワン滝には距離によってレベル1から7まで設定されていました。レベル7に行かない理由はありませんでした。

持ち前のフットワークの軽さでサクサクと進んでいき、レベル1、2、3...と順調にクリアしていきました。




ひたすら無心に進んでいきました。順調すぎるくらい順調でところどころ険しい道のりがあったものの、ランナーズハイみたいな状況だったので軽々上へ上へ登って行きました。
そして1時間半くらいののち、ようやくレベル7へ到着しました!!

ここも観光客で賑わっており、記念撮影をしている人がたくさんいました。僕も数分ほどゆっくり休んで、そのあとは来た道を戻って行きました。
エラワン滝に一人で行くとメンタルがやられます
ここまで写真を上げてきましたが、ただただ滝が綺麗なだけでどこにもメンタルがやられる要素はないかもしれません。
ただし、重々にしてそうですが、写真というものは人々の感情を欺くことができます笑笑
それは加工の有無は関係ありません。美しい写真を見ると良い気分になるのは当たり前のことです。
ここで重要なのは、滞在時間の半分くらいは移動で費やされたということです。自分は一人旅で大多数は2人以上のグループでワイワイやっていました。
そうすると段々自分が惨めになってきて挙句の果てには人生について考え始めました笑。正直レベル3以降はずっと自分の人生について考えていました。
「何しにわざわざ一人旅しに来たんだろ」「これからもずっと一人なのかな(切実)」みたいなことを考えていました。
周りがワイワイやっているときに一人でいるのは精神的に死ぬほど辛かったです。
この次の日、「戦場にかける橋」を訪れた時に出会った同い年の日本人大学生も「メンタルやられる」みたいな事を言っていたので皆さん一人旅で行くときは気をつけてください笑笑
エラワン滝からホステルへ戻る。戦場にかける橋へ
その日の夕方、エラワン滝からホステルへ戻りました。ドミトリーへ行くと、先日話したインド人とアメリカ人が声を掛けてくれました。
アメリカ人「お疲れ!エラワンの滝に行ってきた感じ?」
僕「そうだよ。めっちゃ綺麗だったよ(メンタル終わったなんて口が裂けても言えない)!」
アメリカ人「だよな!泳いだりした?」
僕「いや、泳いではないよ。周りはみんな泳いでいたけどね笑笑(ぼっちが泳げるわけがない)」
インド人「まじか〜。気持ちよかったぜ!俺たちはめっちゃ泳いでぷかぷか浮いてたよ(勝者の笑み)」
二人以上で行けばもっと楽しめたのかな〜と思いつつ、夜はダラーッと過ごして寝ました。寝る前に彼らから僕の名前を聞かれました。自分の名前を言い、お返しに彼らの名前を聞きました。アメリカ人の方がエリック、インド人の方がアリという名前でした。
ただ、もうこれ以降お互いに言葉を交わすことはありませんでした。
...次の日(その日が僕のタイの最終日の前日だったのですが)、朝早く出発しなければいけなかったため8:00くらいに起きて身支度をしました。
20分程度で身支度を終えました。最後に二人に別れのあいさつをしようとしましたが、彼らはまだ寝ていたため、起こすのも悪いと思い、何も言わずに僕はドミトリーを出ました。僕は10:30発の国鉄に乗らなければなりませんでした。僕は「戦場にかける橋」へ向かいました。